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大阪地方裁判所 昭和58年(ワ)3595号 判決

原告

甲野新

被告

乙野洋

被告

山野良子

右両名訴訟代理人

井門忠士

信岡登紫子

主文

一  被告らは、原告に対し、金三〇万円及びこれに対する昭和五七年五月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一五分し、その一を被告らの、その余を原告の各負担とする。

事実《省略》

理由

一〈証拠〉によると、原告は、テレビ、ラジオの放送作家、またいわゆるスポーツ新聞等に小説等を執筆する作家として活躍し、その関係で関西の芸能界に知己も多いことが認められ、これに反する証拠はない。

二原告が昭和五七年五月二五日菅信から台本の執筆依頼とその打合わせのため会いたいと申入れられてこれを応諾し、同日午後三時ごろ、菅信と約束した大阪市北区所在の「東急イン」内の喫茶店「シャングリラ」に行つたところ、同所に、菅信のほかに、原告とは面識のなかつた被告らが居合わせ、原告は被告らとも面会したことは、当事者間に争いがなく、右争いのない事実と、被告山野良子本人尋問の結果と弁論の全趣旨により昭和五九年三月九日付週刊朝日中の漫画家滝田ゆうを撮影した写真と認める検乙第一号証、写真右側の被写体は原告であることに争いがなく、被告乙野洋本人尋問の結果と弁論の全趣旨により昭和五〇年八月八日付日々新聞掲載の写真と認める同第二号証、証人菅信堯彦の証言、原告及び被告ら各本人尋問の結果(原告及び被告乙野各本人尋問の結果中後記措信しない部分を除く。)に弁論の全趣旨を合わせると、次の事実が認められる。

1  被告山野は、大阪市南区法善寺でスナック「みなくち」を経営している者であるが、昭和五七年四月二五日午後六時ごろ、四〇歳前後で比較的背の低い小太りのずんぐりした感じの男(なお、頭髪は長髪であつてオールバックにしていた。また、眼鏡は、かけてはいなかつたが、ポケットに入れていた。後記のとおり、この男が詐欺犯人であるので、以下、犯人という。)が二〇歳前後の若い男を連れて、来店した。犯人は、被告山野に対し、右の若い男はタレント志望であり自分が育てているといい、関西の芸能界関係の話をしたが、その話の中に落語家桂春蝶の名が出た。被告山野は、桂春蝶の前妻であつたことから、犯人の話に興味を示していると、やがて犯人は、どこかへ電話をかけて、俺の給料を「みなくち」へ持つて来てくれ、という趣旨の通話をし、被告山野に対し、「春蝶君とここで待ち合わせる約束をしたので待つているが、春蝶君が来ないので迎えに行く。そのため、ちよつと出て行くから、三万円か五万円ぐらい貸して貰われへんか。」ともちかけた。被告山野は、春蝶が他の店で飲食していて犯人がその飲食代金を負担することになつているのであろうと考え、かつ犯人の先の電話から、やがて犯人のもとに給料が届けられるものと信じ、犯人に五万円を貸渡した。犯人は、犯人が春蝶を迎えに行くという店の電話番号を被告山野に控えさせたうえ、「みなくち」を出て行き、約三〇分経過してから、若い男も、遅いので迎えに行く、などといつて店を出て行つたが、二人とも帰つて来なかつた。そこで、被告山野は、犯人に騙されたのではないかと考え出し、犯人が電話番号を控えさえた店に電話をかけたところ、春蝶も犯人らしい男も来ていないとの話であつたため、犯人に騙されたことがはつきりわかつた。被告山野は、ただちに、大阪府警南警察署に、飲食代金約三万円と貸金名下に交付した五万円の計約八万円を騙取された旨の被害届を提出した。

2  その後、被告山野は、現在、芸能プロダクション三栄企画の役員であり、かつて松竹芸能株式会社に勤務して桂春蝶のマネージャーをしていた被告乙野に、被告山野が詐欺被害にあつたこと、犯人の話の内容から犯人が関西の芸能界に関係があるように思えること、犯人の風貌、とくに犯人の容姿は被告山野が面識のある三栄企画の一従業員に似たところがあること、などを話した。被告乙野が三栄企画の従業員にこの話をしたところ、従業員の一人である長沢利文(犯人と似ている従業員とは別人)が、同人が何度かみかけた原告が被告乙野のいう犯人の風貌に似ていること。その風貌は有名人のうちでは漫画家の滝田ゆうによく似ていること、原告が関西の芸能界に関係のある作家であることなどを話した。そこで、被告乙野は、滝田ゆうを撮影した写真が掲載された雑誌または新聞をさがしてきて被告山野に見せたところ、被告山野は、犯人に似ている旨答えた。さらに、被告乙野は、松竹芸能に保管している新聞の中から、原告を撮影した写真を掲載したものをみつけ、被告山野に見せたところ、被告山野は、犯人と似ているように思われる旨述べ、被告乙野に対し、機会があれば原告と会わせてほしい旨依頼した。

被告乙野は、同被告自身が原告と面識がなかつたことから、原告を知つている者をさがし、三栄企画と同業の東洋企画に勤務する菅信が原告の知人であることを知り、菅信に対し、まず、原告の風貌を尋ね、菅信の話す原告の風貌が被告山野のいう犯人の風貌と似ていることを確かめ、さらに菅信から、原告が関西の芸能界に関係のある作家であつて、タレント志望の青年が原告のもとに出入りしていることなどのことも聞いた。そこで、被告乙野は、菅信に対し、被告山野が詐欺被害にあつたことと、犯人が原告に似ていることを告げ、一度原告に会う機会をつくつてくれるよう依頼した。菅信は、被告乙野の申入れを承諾し、昭和五七年五月二四日及び二五日、二、三回にわたり原告に対して電話をかけ、仕事の依頼のため会いたいと話し、同二五日午後三時に「シャングリラ」で会う約束を取りつけ、被告乙野に右日時に原告と会う旨伝えた。

3  右二五日午後三時ごろ、原告は「シャングリラ」で菅信と会い、菅信と仕事の話や世間話をつづけた。それより先に、被告らも「シャングリラ」に出向き、原告及び菅信とは別の席から原告を観察した。また、被告山野は、便所に行く振りをして原告の横を通り、原告を観察した。その結果、被告山野は、原告が犯人とよく似ていることを確かめた。もつとも、被告山野が犯人と会つたさい、犯人は長髪で、眼鏡をかけていなかつたのに対し、原告は五分刈りで、眼鏡をかけている点が異なつていたが、被告山野としては、一か月の間には頭髪を刈つて髪型を変えることもあり、また犯人が眼鏡をポケットに入れて所持しており、平常は眼鏡をかけるようにも感じており、そして何よりも原告の全体としての風貌が犯人のそれとよく似ているとの印象をつよくうけたところから、被告乙野に原告が犯人と似ている旨伝え、かつ中座してきた菅信にも同様のことを伝えた。

そこで、被告らは、菅信の紹介で原告と同席し、被告らの名と職を告げたうえ、被告山野が原告に「先立つて有難うございました。」と切り出し、原告が「知らん」というのに対して、原告に眼鏡を外してくれるよう頼み、眼鏡を外した原告の顔が犯人と似ていたことから、「みなくち」でボトルをキープしてもらつて酒を飲んでもらつたことなど、前記の詐欺事件当日の経過を次々に話し、かつ原告が詐欺犯人と思われる趣旨のことをのべた。これに対し、まつたく身に覚えのない原告は、被告山野のいうようなことは知らない旨を繰りかえした。同席していた被告乙野は、これまでの被告山野の話及び被告乙野が調査した結果や、被告山野が原告と直接面接して犯人と似ているとのべたことから、やはり原告が犯人ではないとかと考え、原告に向かつて「ほんまに知らんのかいな。」、「知らんことはないやろ。本当のことを言うてくれ。」などといい、原告と押し問答となつたが、被告乙野の口調がやや荒いものであつたため、原告は、被告らから、身に覚えのない詐欺犯人と決めつけられ、威圧されているように感じた。

原被告らは、このように押し問答を繰りかえしたが、やがて被告乙野は、これ以上水掛論をつづけても仕方がなく、警察に捜査してもらおうと考えて、警察に通報した。まもなく、大阪府警曽根崎警察署員が「シャングリラ」へ来て、原告に任意同行を求め、パトカーで原告を同署へ連れて行き、同署において、被告山野及び「みなくち」の従業員にいわゆる面通しをさせ、かつ同日午後八時ごろまで原告を取調べた。この面通しのさいも、被告山野は原告が犯人と似ているとの印象をうけたが、右従業員は、原告が犯人と似てはいるものの、犯人よりはふとつているようにもみえるなど、犯人と異なる印象をうける点もある旨をのべていた。

4  その後の同年九月ごろ、被告らは、犯人が逮捕されたことを知らされ、この時点で原告が詐欺犯人でないことを知つた。そこで被告らは、人違いしたことを原告に謝罪しようとし、被告乙野から、原告方に二回電話をかけたが、不在であり、菅信にも原告に連絡してくれるよう依頼したが、菅信を通じても原告と連絡ができないでいるうちに、昭和五八年五月三〇日、原告により本訴が提起された。

以上のとおり認められ、〈証拠〉中右認定と抵触する部分は措信しがたく、他に右認定を覆すに足りるほどの証拠はない。

三以上の事実をもとに被告らによる不法行為の成否について検討すると、右事実によれば、被告らが原告を被告山野に対する詐欺事件の犯人のように取り違え、原告を詐欺事件の犯人ではないかと追及し、警察に通報したことにより、原告としては、被告らから原告の身に覚えのない事件について右のように追及をうける以外に警察署においてかなり長時間にわたつて取調をうけなければならなくなり、原告の名誉感情を害される結果を招いたことが明らかであるといえる。もつとも、被告山野の場合のような詐欺等の被害者ないしその関係者が、被害届を警察に提出するほかに、心当たりをさがすなどして犯人と思われる者をみつけた場合に、警察に通報することは、犯人と思われる者の調査確認の方法が相当なものである限り、たとえ通報が結果的に人違いであつて、犯人と誤認された者が右通報及びこれに基づく警察の捜査によつて名誉感情を害されるなどの被害をうけることがあつたとしても、法によつて許容されるところであつて違法性を欠くものと解される。本件においても、被告らが、被告山野の記憶をもとに犯人と風貌の似ている原告をさがし出し、原告が犯人であるかを確かめるため原告に会うまでの行為、及び被告乙野が警察に通報した行為は、その過程に相当の範囲を逸脱するところはなく、違法性を欠くものといえる。ところが、本件においては、被告らが「シャングリラ」において原告を直接観察しかつ面接して原告が犯人かどうかを確かめたさい、被告山野が、原告が髪型と眼鏡の点で原告が見た犯人とは違つていることに気付きながら、その点を重視せずに原告が犯人であるように考えて、原告が否定しているのにもかかわらず、原告に対して原告が犯人であるように思われる趣旨のことをのべたのは、軽卒ママであつたというべきであり(とくに、後刻原告の面通をした「みなくち」の従業員が原告が犯人と断定するには疑問があるような印象をものべていたことを考えると、被告山野がある程度の時間原告を直接観察して犯人と違うところもあることに気付きながら、原告を犯人のように考えて、そのことを原告に対しても直接のべてしまつたことは、軽卒ママというほかない。)、また被告乙野が、被告山野の言葉を信じたためとはいえ、原告に対して被告らが原告を詐欺事件の犯人と決めつけて追及しているとの印象を与えるような趣旨のことをのべ、また被告乙野の口調がやや荒かつたこともあつて、原告に威迫感を与えたことは、行き過ぎというほかなく、結局右の「シャングリラ」における被告らの原告に対する言動は、原告が犯人であるかどうかを確かめて警察に通報するためにしたとしても、相当性の範囲を逸脱したものというほかなく、これによつて原告の名誉感情が害された以上、原告に対する違法の行為というべきである。右の判断を覆すに足りるほどの証拠はない。

四そこで、原告のうけた損害について検討すると、原告が被告らの右違法な行為によつて名誉感情を害されるという精神的苦痛をうけたことは、すでにみたところから明らかであるから、被告らは原告に対して慰藉料の支払義務を負うものである。

原告は、これと別に、原告が作家として執筆している新聞、雑誌、芸能界の関係者から詐欺犯人であるかのように疑われて執筆依頼がされなくなり、執筆による収入に減少をきたしたなどの財産上の損害をうけた旨を主張し、原告本人尋問の結果中にはこの主張にそうような部分もないではないが、具体性を欠くものであり、この点についての反対趣旨〈証拠〉とも対照すると、原告がその主張のような財産上の損害をこうむつた事実を認めることはできない。他にこれを認めるに足りる証拠はない。

そこで、慰藉料の額について検討すると、原告は、被告らが他の者とも共謀して、計画的に作家としての原告を陥れ、原告の執筆活動を妨害する意図のもとに、原告主張のような行為に及んだ旨を主張するのであるが、証拠を総合しての原告主張のような事実を認めることはできない。本件においては、すでにみたとおり、被告らが詐欺事件の犯人につき心あたりをさがして、たまたま犯人に似ている原告をみつけ、原告を直接見てそれを確かめたうえ警察に通報するという、相当性の範囲にとどまる限りは法によつて許容された一連の行為の過程で、前記のような軽卒ママな点と行き過ぎがあつたことを認めることができるだけであつて、被告らをそれほど強く非難することはできないというべきである。もちろん、詐欺犯人と間違われた原告の苦痛が大きいことは前認定の事実から十分うかがえるのではあるが、右のように被告らをそう強く非難できないこと、被告らが原告を犯人と間違えたことを知つてから、果たせなかつたものの原告に謝罪しようとし、被告ら本人尋問のさいに原告に謝意を表していたことなど、本件にあらわれた諸事情を斟酌すると、被告らが原告に支払うべき慰藉料の額は三〇万円とするのが相当である。これを左右するに足りる証拠はない。

五そうすると、原告の請求は、被告に対し慰藉料三〇万円とこれに対する不法行為の日の昭和五七年五月二五日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による金員を各自支払うことを求める限度で理由があるから認容し、その余は失当なので棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を適用し、仮執行宣言は相当でないと認めてこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(岨野悌介)

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